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アメリカでの転職 シリコンバレーでエンジニアとしてスタート

12/24/2017

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今回はアメリカのシリコンバレーでエンジニアとして再スタートした時の事を少しご紹介したいと思います。
シリコンバレーはご存知の方もいると思いますが、アメリカ カリフォルニア州のサンフランシスコ近辺などベイエリアと呼ばれる地域になります。
その昔、多くの半導体(原料:シリコン)を扱ったメーカーが集まっていた事とその地形(盆地:バレー)からシリコンバレーという名前の由来になっています。
シリコンバレーにはアップル(クーパチーノ)、グーグル(マウンテンビュー)、フェイスブック(メンローパーク)、アドビ(サンノゼ)、インテル(サンタクララ)、シスコ(サンノゼ)、ヤフー(サニーベール)、オラクル(レッドウッドシティー)、エヌビディア(サンタクララ)などなど多くの著名な企業が集まっています。
その昔と言ったのは、今では半導体メーカーというよりは、IT関連の企業などが増えてきてシリコン製品だけで競争している会社は少ないからです。

 シリコンマップスという会社では企業一覧をグラフィカルにマップにしたポスターなどをデザインしています。
 仕事上、いろんな会社を訪問するのですが、割とよく見かけます。
 シリコンバレーだけでなく他の地域もサポートしていてビジュアル化して企業を見たい場合にはとてもお勧めです。

さてアメリカで転職した当時の話に戻りますが、今振り返ってみると当時は自信と不安の塊で、モチベーションというエネルギーはとても高い値を維持しながらもそのエネルギーの塊はバタバタとノイズのように乱れていたという印象です。
精神的には乱れまくり・・・
日本にいた時の私は欧米人に対する憧れと一緒に仕事をしてみたいという強い気持ちがあった一方で、「自分なんかが優秀な人たちに囲まれてエンジニアとしてやっていけるのか、ついていけるのか」といった劣等感を既に感じていました。
「何か始めないと」と思いながら、お昼休みは自己啓発本などを読み、仕事が終わればインターネットで毎日現地の情報などを調査、時間があれば英語の勉強などをしていました。
 当時読んでいた自己啓発本などは精神面を整える上でとても役に立ち、今でもお気に入りは保管しています。
 ここで当時読んでいた本の1つを
書籍紹介ブログ記事 「転職時に読んでいたおススメ本のご紹介」 に紹介していますのでご興味ある方は是非。
 英語の勉強は苦痛だったなぁ・・・というか苦手・・・今思うと日本で勉強していた内容がどれだけ身についていたのか。
 当たり前なのかもしれませんが、「習うより慣れろ」が一番だということをこっちに来て再認識しました。


そんな毎日を過ごしているうちにアメリカで挑戦してみるという感情は日に日に高まり、しばらく経つと割と引っ込み思案な自分が転職会社のリクルータなどにコンタクトしながらいろいろとアドバイスをいただいていました。
海外の会社へ直接転職するというケースはほとんどなかったので、外資企業や海外に子会社などがある日系企業をターゲットとしていました。
 ターゲット
  • その1:外資系企業での現地就職を直接アタック!
  • その2:外資系企業で国内就職し、短期 (1-3年)での現地トランジション!
  • その3:日系企業で国内就職し、現地駐在員を目指す!
 2と3はエージェントにその意志をしっかり伝えた上で「考えてもいいよ」という企業だけ面接しました。
 人を巻き込んで動き出したら流石に引けないですねぇ・・・
 やっぱり動き出さないと何も始まらないというのを痛感。


そういった中でいくつかの企業と面接の機会をいただきながら自分の技術能力が海外で通じるレベルなのかを試していましたが、流石に外資系企業の面接は難易度も高かったです。
技術能力を試す問題や思考能力を試す問題などをホワイトボードを使って説明しながら回答するといった形式が多々ありました。
 日本の典型的な面接である人柄や経歴などを確認するのとは大分違うので慣れるまでは大変。
 しかも英語で・・・というのが英語の成績の悪かった自分には苦痛・・・


自分も割りとまじめ??に働いていた方なので自分の分野である技術的問題にはある程度解答できていたと思いますが、全く知らない分野で思考を試されたりするような問題にはとっても苦労しました。
そんなことを繰り返しながら数は少ないものの内々定、内定などをもらいつつアメリカでもやっていけそうかなぁという感触を掴んでいた日々でした。
 今思うと退職する時が一番大変だったかなぁと。
 それまで色々と面倒をみていただいた上司や先輩方などに「申し訳ありません!」という気持ちで一杯でした。


さて、話は飛んでシリコンバレーでのエンジニアライフをスタートしたわけですが、先ほど書いた通り精神的にはかなり乱れていたと思います。
私の場合は製品の技術サポートをしたりするようなお仕事でしたので、社内だけでなく上で挙げたような社外の大手企業のエンジニアと打ち合わせする機会が沢山ありました。
説明しないといけない内容などは理解できているけど上手く伝えられなかったり、文化の違い、仕事の進め方の違いなどで本来一人で片付く仕事も周りのエンジニアに少しフォローをしてもらいながら数ヶ月を過ごしていました。
 今思うとただ黙々と自社製品の開発に取り組むような職種であれば、成果物を出しやすかったのかなぁと思ったりもします。
 が、シリコンバレーを含め大手企業のエンジニアとのやり取りもできるというのはとてもプラスでした。


あまりにも周りを巻き込んでいたので、「これはいかん!」と思い出したのがおそらく3ヶ月くらい経った頃でしょうか。もっと自律しなくてはと思い、落ち着いて先の事を考えてみることにしました。
その時に考えたことなどは今でも自分の中で基本として残っているのですが、その中でもやはり基本中の基本としているのは ”観察” です。
人と同じ事をやっていても自分の価値はなかなか生まれないので、先ずは周りを観察することにしました。
チーム、グループに足りないものを見つけそこを自分の価値となるよう伸ばしていこうと思ったのです。
 この考えは新しい職場、会社に移った時などの基本として今でも参考にしています。
 本ブログサイトの「シリコンバレー流 エンジニアの仕事術 周りを観察する事で見えてくる自分の価値」でご紹介しているのでお時間ある時に是非一度呼んでみてくださいね。

難しそうに思えるのですがグループによっては簡単に見つけられることもあり、コツさえつかんでしまえば割と簡単に適用できたりします。
私のシリコンバレーでのスタートがこの考え方に救われたと言っても過言ではありません。
スタートから6ヶ月くらい経った頃には自分だけにできることを見つけることができ、1年後くらいにはグループ内に今までなかった仕組みを作ることができました。

 このやり方はおそらく日本でも可能かとは思いますが、業務プロセスが日本の方ががっつりと決められているので個人的にはUSよりも少し難しいのかなとも感じています。

「グループ、チーム内に足りないことを観察する。」という単純なところに気づくまで3ヶ月ほどかかってしまいましたが、これにより無事にスタートできたと今でも思います。
逆に言うと「人と同じ技術能力でやっていても生き残るのは大変だ。」というのを感じた時期でもありました。
​
それではまた。アスタ ルエゴ!
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